ジャニヲタOLの徒然日記

東京でOLしているジャニヲタの日常

私の経験を話すことで、誰かの勇気や元気のきっかけになれば

私は中高の4年半、精神疾患でした。そのことについて、少し吐き出してみることにしました。
 
赤裸々に話すのは正直、ちょっとな…と思う部分があります。
しかし、このストレス社会で精神病で悩む人が多くなっているのも事実です。
苦しんで、その話をなかなかできなくて、共感を求めようとしても、共感してくれる人がいなくて…
 
治るのかな?という不安を抱えている人も多いと思います。
 
誰かという特定の人物はいないけど、私の経験を話すことで、こういう人がいたんだ。
自分も頑張ろう、きっと大丈夫と思ってくれる人が1人でもいれば幸いです。
ちょっと吐き出そうとか言いながら…2万字超えておりますがw

自分のことを書こうと思ったのは、先日サイキックリーディングに行った際に
自分の核心に触れられたな…と痛感したからです。
精神疾患とは外傷と違って病気が治った、の線引きが難しいです。
今となっては何の不自由もなく普通に生活できるのですが、ふとした瞬間に不安になったりもするし
昔のこと思い出して涙が出てきたりもします。
 
今の私の課題は自分に自信がないこと。
そして、辛い過去を辛い過去としてしかとらえていなくて、トラウマになって殻にこもってしまっていること。
 
自分のことをアウトプットすることで、改めて自分を見つめなおしたい、
辛い過去を経験として受け止め、自分の自信にしたいと思います。
 
正直、こんなこと書いて、知り合いがこのブログにたどり着いたりしたら引くんじゃないか…とも思いますが
今の自分があるのは、過去の自分があるから。これで私のこと軽蔑するならそれまでださ!
 

\(^o^)/今はジャニヲタしてて楽しいよ~~ちゃんと会社員として働いてるよ~~~\(^o^)/
 

精神疾患と言っても種類はたくさんあります。
私もいくつかの症状があったのですが、主に【摂食障害】【うつ病】の2つです。
 

■基本ステータス
・長女(3歳下に妹)
・実家は自営業
・中高私立一貫学校
・負けず嫌い
 
■発病のきっかけ
中学1年のいじめ〈おそらく〉
 
■通院歴
中学2年で精神科へ。相性が合わずに他の精神科へ。精神疾患発病に伴い発症した症状によりその他の病院へも通院。
学内のカウンセリングも受診
 
■身体の変化
身長162cm(当時)元々50kgくらいあったのが30kg台に
肝機能低下、脳萎縮、生理停止…等々
 
 
 
\(^o^)/今は中肉中背のアラサーだよ\(^o^)/
 

中学受験をし、私立の一貫校へ入学。成績もよく、学内の順位を維持できれば医学部も夢じゃないと言われていました。
両親や先生の期待もあり、期待に応えられる『良い子』でいることが自分のモチベーションにもなっていました。
3つ下の妹がいて、「お姉ちゃんだから」とは言われることはありませんでしたが、しっかりしなきゃというような意識は常にありました。
 
中学生活にも慣れ始めた中1の夏頃、クラスの子に話しかけてもそっけなかったり
体育の授業でグループを作るとなかなか入れてもらえなかったり
何事もないように、気づかないふりはしていましたが、明らかにいじめだなと体感するようになりました。
 
いじめたほうは、今では普通の生活送っていると思いますが
いじめられていたほうはやっぱり覚えているんですよね。
なぜかそのいじめていたリーダー格の子(当時自分はかわいいと思っていたはず)は
将来不幸になればいいのに。とか思ってしまいます。
嘘です。笑
どうせもうそんなこと覚えてないでしょうし、いじめられたことも経験だって思うようにしてますよ。
 
中2になってクラス替えはあっても、現状は変わらず。それどころか一緒にお昼ご飯を食べる友達がいなくなりました。
担任が時折「仲間外れにしたり、わざと悪質な態度をとるのはやめなさい」と言ってはくれるんですが、
状況はすぐに変わるわけありません。
 
私がジャニーズにはまりだしたのはこの頃ですね。
土曜日の夕方少年倶楽部をやっていて(むかしは土曜でした)
ここで薮くんを見つけたんですよ。
世界がひとつになるまで』これ聴いて泣いたんです。
こんな小さい子が(1つしか変わらないけど)こんなに心に響く歌を歌うなんて…って。
平日学校から帰宅すると、早くて17時55分で、帰宅するころに『にんたま乱太郎』のエンディングの時間でw
それでYaも知って…
日曜日のモー娘。の番組の後のYa番見るのも楽しみでした。
土日は学校での「無視される」「はぶられる」という恐怖から解放されるし唯一心の安らぎの日でしたね。
(土曜日は授業あったけどおひる休みがないのが救い)
 
私の通っていた学校では月曜日に週テストというものがあり、英数国の3教科から2教科ずつテストがありました。
進学校ということもあり、中2までで中学の学習課程を終了させるため、授業スピードはかなり速く
その確認テストというもので、しかも成績表が貼りだされます。
 
いじめている奴を見返すにはどうすればいいか?
所詮いじめなんて低俗なことするのはバカな奴ばかりだから成績で突き放してやろう。そう考えて、勉強に必死で取り組みました。
いじめているのは先生は知っているし、かつ私が褒められれば内申点下がるに決まっている、そう考えていました。
 
受験勉強をして、受験戦争をのりこえてきた子たちは地頭もよく、その中で1位を取るのはかなり困難だったのですが、週テストで1位を取ることができました。
成績表が貼りだされ、見に行くと…
爪で私の名前がつぶされていたんです。画鋲刺されるよりはましだったな…と今なら笑って言えますが
相当なショックを受けました。自分が否定されてるみたいで。
自分の居場所がわからないし、ここ(学校)にいるのがいけない気がしました。
そのうち、昼休みも教室にいるのがつらくて、ご飯を食べたらすぐに図書館に行くようになりました。
ガムシャラに小説を読んでました。
いつしか、ご飯を食べる時間に教室にいるのが嫌になり、おかずだけちょっと食べたり、食べずに教室を出るようになりました。
 
毎日お弁当を作ってもらっていたのですが、残した分は申し訳ないことに、捨てていました。
(今となっては食のありがたみがわかります)
 
お昼ご飯を食べないことで、もちろん体重は減る。
持っていくお弁当も、さすがに捨てるなんて言えなくて「あまりお腹すかなくなったからお弁当箱小さくして」と小さいサイズにしてもらいました。
 
少し体重が減ったころに、「かわいくなったね」と言われ
ちょうどseventeenやら読んで、かわいいモデルさんに憧れている年頃でもあったし
嬉しくて、もうちょっと痩せようと思いました。
 
成績が良くて、かわいければ(実際かわいくないけどw)みんな私のこと認めるでしょ。
認めるというか、優越感に浸れる、みんなは劣等感味わえばいいんじゃない?
そんな軽い考えが頭の中にありました。
いじめられいることなんて、親には言えないし、学校は楽しい?と聞かれると、作り話も交えて楽しさを装ってました。
自分は関わっていなくても、関わっているかのように話したりもしました。
実際当時は学校が楽しいなんて思ったことないし、隠していても担任からは親に伝わっていたみたいです。
 
この頃、猫を飼うことになりました。
ペットショップに行って抱きかかえたら私の腕の中にすり寄ってきて、自分を信頼してくれる感じが本当にうれしかったです。
猫でもいいから、私のこと好きになってくれるっていうことが嬉しかった。
 
もっと勉強しよう、成績あげてやるんだ。
かなり遅い時間まで机に向かったり、時にはかなり早起きして勉強したこともあります。
二次方程式のテストが60点だったのが悔しくて翌週には100点になるほど勉強しました。
そのうち、寝たら暗記したの忘れるかもしれない、早く起きて勉強しなきゃ…という気持ちから
不眠症になりました。
どんどん体重は落ちていくし、反抗期や思い通りにいかないことにストレスを感じ、イライラする日々。
早起きして狂ったように勉強して、痩せてきたのも顕著になって…
とうとう母も動き出しました。
「精神科に行こう」
 
中学生に「精神科に行こう」というのは理解が難しいもので、熱や病気と違って、どこがどのように悪いか体感もないのに
病院に行くのが納得できませんでした。しかも精神科?なんで?って感じ。
更には、自分が「精神病」だということを認めたくなかった。
お願いだから、とりあえず一回行こう!!!!と言われ、嫌々病院に行きました。
当然私はふてくされています。
 
受診室に入るとおじさんが座っていました。
身長と体重を測ってくださいと、その場で計測。確かまだその時は45kgはあったはず。
モデルさんなんてこれくらいだし、別によくない?なにが病気なの?わかんない。
そんな気持ちでいっぱいでした。
家でもご飯を食べる量が減ってきていて、あなたは【摂食障害】です。
身長は162cmある、中学生の女の子の一日の必要摂取カロリーはこれくらいです。
これから毎日食べたものをノートに書きなさい。
 
曖昧にしか覚えてませんが、確かこんな感じでした。
私が書くと、ごまかしたり嘘つくかもしれないから、母が記入しなさいと言われました。
 
私の頭の中には、せっかく痩せたのに戻りたくはない。それに病気なんかじゃないし、これから高校の勉強するから、もっと忙しくなるから
それどころじゃない、意味わかんない。あの先生もなんなの、必要なカロリーとか家庭科で勉強してるから。
そんなこと考えてました。
 
しかし、それからその食べていたものをノートに書くということだけでケンカをよくしました。
自分ではもっと食べているはずと思っているから「母がご飯○g」と書くのに納得がいかなかったり
それじゃ、計量すればいいと毎食計量して何をどれだけ食べたとか…
食べること以上にエネルギーを使っていました。
今となってはそんなばかばかしいことに体力つかうなんて…と思えるんですが
食べれない、食べたくないのに「食べさせられる」という恐怖があったのを覚えています。
 
教室でご飯が食べたくなくなって、いつしか食事をするのが嫌になって、食べれなくなったのに
無理やりにでも食べなさいと言われて食べることが完全に億劫になりました。
 
結局その病院は合わなくて(先生が嫌い)で行かなくなりました。
 
中学3年はクラス替えで信頼できる子(頭がいい子はいじめにも関わらない)がいたから、修学旅行とかも割と楽しめました。
修学旅行は沖縄で楽しかったのに、台風で1日つぶれたのが残念w
 
食べれない、なかなか寝れない、そんな状況は変わらなく、やつれる…?痩せて?くるスピードも止まらなくて
他の病院に行くことになりました。
しかし、他の病院外来受付が17時(だったかな?)までで、7時間目まであった我が校から1時間かけて帰ると、どんなに早くても帰宅は18時で
早退するしか通院できなかったのです。
無遅刻無欠席無早退で中学3年の半ばまで来ていて皆勤賞を狙っていたから、行きたくないと言いました。
 
小学生の頃までは病気しがちで、皆勤賞とは無縁でした。
それが、中学1、2年と休まずに来れて、皆勤賞とれるのが目の前まできていて…だから本当にいきたくなかった。
それにやっぱり「精神病」がよくわからなくて、認めたくなくて、悔しさと悲しさが交互していました。
 
しかし、中学卒業したら、ホームステイするプログラムも決まっていたし、担任からも少し話があり
泣く泣く行くことになりました。
早退の日は、母が学校まで迎えに来てたんですが、病院に行くのが嫌で、車で一言も喋らなかったです。
 
新しくいった病院は、今までのビルの上の一室とは違い、一軒家のような開業病院でした。
そして、そこの先生は、まったく違うタイプの人でした。
体重を測りたくないなら測らなくていいし、食べた量も気にしなくていい。
 
心のコップがあって、本来はこれくらい(大きい)あったのに、今はこれくらい(小さい)しかなくて
水があふれてしまっているんだ。だから心のコップを大きくしましょう。
なにか好きなことが見つかってうちこめるといいですね。
精神病って心が風邪をひいているだけなんです、あなたは咳がでたり、頭痛がすると薬を飲むでしょ?
だから、もし精神病でお薬を飲む日がきても、心が風邪をひいているだけだからなんにも後ろめたいことはないんですよ。
 
そんな感じで終わりました。
 
逆によくわからなかった。私は白黒はっきりつけたい性格だから
病院に行くならいくで、ちゃんと食べれるように、寝れるように治してくれなきゃ意味がない。
だから、なんなの!?(15歳、まさに反抗期★)
 
それから2週間に1回のペースで通院することになりました。やっぱり病気だっていう自覚はないんですね。
ある日先生に【強迫】ってわかる?と言われました。
長女で負けず嫌い。「勉強しなきゃ」「1番にならなきゃ」「いい子でいなきゃ」
「○○しなきゃ」という気持ちが自分を追いつめていると。
意識したことはなかったけど、いい子でいることは当然だと思っていたし
褒められると嬉しい、成績も優秀だとパパもママも喜ぶから頑張らなきゃって常に思ってはいました。
 
決して「ご飯は食べてますか」とは聞かれなかった。
聞かれても、お弁当は捨ててます、夜はちょっと何か口に入れる程度だし、答えたくもなかった。
哲学者の話をしたり、絵画の話をしたり…
これだけでお金とるなんて、治してくれないのに!ぼったくり!とも思ったりもしました(15歳、まさに反抗期★その2)
 
それからとうとう薬を飲む日がやってきました。
また改めて「心が風邪ひいているだけだよ」と言われました。
それから、体になんらかの症状がでてくるかもしれないから血液検査をしようと。
コレステロール値は高いし、肝機能は低下してるし、白血球数は下がってるし、カリウムも低いし。
結果はボロボロ。完全に栄養失調の数値です。
 
ホームステイは自分でもよく乗り越えたな…って思います。
コアラが抱っこしたくて、それだけの理由でホームステイをしようと決めました(理由が子供)
みんなでLunchだから捨てるわけにもいかないし、それ以上に楽しかったのかもしれない。
摂食障害でも拒食症の方なのに、吐くことはなかった。
 
摂食障害によくありがちな、食べたことに罪悪感を持ち、食べたことを後悔して吐くということは、自分でも不思議なくらいなかったです。
また、拒食と過食は交互にやってくると言いますが決してそんなことはなく、常に拒食でした。
心が満たされなくて、胃袋を小さくしてしまっている。心が満たされたら、ちゃんと食べれるようになりますと言われ、当時は意味が分からなかったけど
今になって納得しています。
 
高校生になると学力別のクラスになります。また、高校から入学してくる人たちもいます。
 
私は通称『5組』といわれる成績優秀クラスにいました。
いじめはなくなっていたような気もするんですが、やはり意識してしまうのと、明らかに病的に痩せてきたので
学校の人と話すことに恐怖を覚えるようになりました。
塾の人は私が学校でいじめられていたなんて知らないから、普通に接することができて
楽しくて、土曜日の塾が学校になればいいのに…なんてよく思っていました。
 
しかし高校1年は私にとって、人生の分岐点になります。
 

\(^o^)/今はジャニヲタしてて楽しいよ~~ちゃんと会社員として働いてるよ~~~\(^o^)/
 
高校生になったらやりたいこと。その1つに「高校生クイズに出場」ということがありました。
小学生の頃からテレビで見て憧れていて
高校生になったら出てやる!と思っていました。
夏休みに予選会があるのですが、夏休みといえど平日は補習というものがあり、お盆以外は毎日登校だったので
一緒に出る子にも学校を休んでもらわないと…なんて私は考えていました。
 
病院に行き「高校生クイズに出たいんです」という話をした時に、先生は「自分から何かをしたいという前向きな気持ちは大事です。でも、水分摂取と暑さ対策はしてくださいね」と言われました。
しかし、本当はドクターストップをかけるべき状態だったと後から聞きました。
私にはもう疲れる感覚とか、よくわからない状態になっていて、麻痺していたんです。
もういつ倒れてもおかしくない状態だったみたいです。
 
予選エントリーを済ませ、7月。
学校には毎年大きな七夕飾りが置かれます。病院にいくために母の迎えを待っていた日に、短冊を書きました。
所詮神頼みのお願いなんてかなうわけない…
ひねくれ者でしたが、神頼みしかない!と思うほどに、誰かに助けてほしかったです。
『普通に生活できますように』
「普通」ってなんだろうね、「普通」ってむずかしいんだな…
誰でもいいから、誰か助けてよ…
 
高校生クイズは見事に2問目で敗退。ちなみにその年の県代表は他の同級生チームでした。
 
高校1年の夏休み、もう1つのイベントがありました。
それは家族旅行でディズニーランド、シーに行くこと。
これも後から聞きましたが、最後の家族旅行になるかもしれないと両親は覚悟していたそうです。
当然のごとく私には言われませんでしたが、この夏が峠になるでしょうと病院の先生に言われていたとか。
 
ダブルブッキングでスイートルームに泊まれ、開園から閉園まで遊んだことは覚えてるんですが
あまり記憶がないんですよね。
 
ショーの指定席が当たって、ダンサーさんとのダンスタイムで呼ばれて一緒に踊ったのはなんとなく覚えてる。
筋力も落ちてたから、首を支える筋力とかもなくて、ジェットコースターとか乗るときにパパが頭抑えててくれたのも覚えてる。
でも、買い物ができなかったわよ、レジの人が話してるのにぼーっとして反応なくて…って
ママに言われたのは覚えてない。
 
このころから、笑えなくなった。
写真を見ても、たぶん自分では笑ってるつもりなんだろうけど
顔がおかしい。表情筋も落ちてたんだろうけど何に対しても面白いとか思えなくなってきて
楽しいことが何かもわからなくなってた。
24時間テレビを見ながら、死にそうですって言えば、嵐来てくれたかなとか思ったりした記憶はあります。
 
そして夏が終わり、また学校が始まった。
それと同時に、担任からある話があった。
「ちょっと学校をお休みしない?」
一瞬なんのことかわからなかった。どんなに痩せても、どんなに病気になっても
自分では倒れそうなんて自覚はないから、勉強できる、大丈夫だって思ってた。
 
でも、登下校に1時間ちょっとかかり、その間に倒れたら大変といわれ
薬の副作用で日中眠たくて、授業中も起きていられなくなっていた。
 
入院するか?という選択肢も提示されたが、私は入院は絶対したくなかったのです。
 
自分が病気だと言われてから、精神病について少しずつ調べていたのですが
精神病棟では逃げ出さないようにベッドに縛り付けになったり
食べられないのであれば、点滴をひたすらするといったイメージが強く
病気を治すための入院というより、軟禁されるようなイメージを抱いていた。
 
「ちょっとの間」とはどれくらいだろうか?
 
学校を休んだら授業についていけなくなるんじゃないか?
戻れる場所はあるんだろうか?
頭の中でいろんなことを考えた。
 
「まずは体力つけないと、これから勉強が本格的にできなくなってしまうよ?」
 
ああ。そうかもしれないな…
入院したくないなら、せめて学校を休みなさい。
 
私の家でのニート生活(笑)が決まりました。
 

夏を乗り越え、一安心したのもつかの間、摂食障害以外の精神疾患もひどくなってきました。
 
・鬱
・幼児返り
・不安症
・対人恐怖症
 
正直、今の自分からしてもあれは私だったのか?とさえ疑います。
 
鬱状態って難しくて
気持ちの上下が激しく、すごく時間が緩やかに流れ穏やかに過ごせる時間もあれば
どうにもならない現状がつらくて暴言を吐いては泣き、ぎゃーーーー!!!と叫び、モノ投げつけたり(お茶碗割ったりしてたな)
暴言ノート?みたいなのに死ねだとか汚い言葉殴り書きしては破り捨てたりしてました。
穏やかでも荒れてなくても、本当に無気力状態になって何もしたくないこともありました。
 
休学中に少しでも良くならないと、とは思っても飲む薬の量や
自覚のある気持ちの上下からすると不安しかありませんでした。
体調面でも自分では大丈夫だと思ってても、実際大丈夫じゃなくて、本当に倒れたこともあります。
 
母と買い物に行くために自転車に乗っていたんですが、横断歩道わたるときに自転車ごと転んだんです。
この時私、死んでもおかしくないと思いました。
筋力も落ちていたし、転んだ痛みからも立ち上がれずにいたんです。
車道の信号が青になってしまって、もうだめだ…って思ったとき、たぶんバイクに乗っていたお兄さんがバイク止めて
私を起こしてくれて、自転車と一緒に歩道の方へ連れて行ってくれたんです。
 
これもあまり記憶にないんですが…
 
ただ、その時の傷痕はまだ残っています。
 
その一件から、一人でいるのが怖くなりました。
 
またこんな風に事故るのが怖い。なにかあったらどうしよう。と思うと怖くて怖くて…
母が買い物に行っている時に、1時間留守番するのすら怖かったです。
誰かが襲ってきたらどうしよう……怖い
 
自分でも病気だな…って思い始めたのは本当にこの休み期間に入ってからです。
二の腕が手で持てるんですよ。
ズボンのファスナーやボタンをしめた状態で服が脱げるんです。(ボタン閉めておしりが通る)
痩せすぎて、自分でも軽いのがわかって、体重計になんて怖くてのれませんでした。
 
何をするのも怖いと感じていました。
 
また、病的に痩せていたので、そとに出ると必ず見知らぬ人が私のことを見ます。
「病気なんだろうな、かわいそうに」
「気持ち悪い痩せてる」
どっちかだと思います。
実際ポッキーでしたからね。
外に出ると知らない人からの視線を感じ、
また、私を連れて歩く母に申し訳なくて、人に会うのが怖くなりました。
妹ですら会いたくなくて、妹が学校から帰ってくるとしばらく部屋から出ませんでした。
 
そのうち、少し食べたらすぐ太るのも怖くなりました。
飢餓状態の人間の人間が少し食べたらそれを蓄えようとするのは当然なのに、
食べたら食べた分太るんじゃないかという恐怖心も生まれました。
 
一番厄介だったのが幼児返りです。
3歳くらいの子に下のきょうだいができたときに、今まで自分が構ってもらっていたのに赤ちゃんが優先されるようになって
赤ちゃんなら構ってもらえるんだ…という嫉妬心から赤ちゃん返りするのは知っていました。
でも、高校生…ある程度の大人になってもなるんですよ。究極の現実逃避だと思います。
今ある現状から逃げたくて、逃げたくて、逃げたくて、何もわからない赤ちゃんになれば許されるということでしょうか?
体は高校生なのに、とにかく幼児になるんです。
自分のことを「○○ちゃん」と呼んで、ご飯食べなさいと言われると「○○ちゃんまだ赤ちゃんだからこんなにいらないの」と言ったり
妹を迎えに行くというと、「○○ちゃん一人ぼっちはさみしいから行っちゃ嫌だ」とか言っていたし。
 
それもずっとじゃなくて、何か気に障ることがあると駄々こねるように幼児返りするんです。
でもどこかでお姉ちゃんであることは覚えていたみたいで、妹の前では決して出なかったです。
「もうすぐ■■ちゃん(妹)学校から帰ってくるから、○○ちゃんお姉ちゃんにならないとなの」ってその状態から抜け出そうとするんです。
抜け出せないときは部屋でぬいぐるみ抱えて泣いていたし、ぎりぎりのタイミングで戻ると過呼吸になっていました。
 
こんなに人格が変わる自分が嫌いで自分じゃないみたいだったし
このまま学校いけないな…とようやく理解できるようになりました。
 
普通に考えれば、学校に行けない状態なのは当たり前なのに
感覚がわからないんですよ。自分がわからないんです。
 
お休み期間にはいっても、最初のうちは数学と英語だけ自習していました。
でも、勉強しようという姿勢すら母には見ていられなかったらしく、やめようと言われました。
 
小学校1年生から塾に通っていたし、中学受験をして、進学校にいて、
勉強をしない日がくるなんて考えもしなかったです。
 
秋になり、寒い日も増えきました。
もちろんカロリー摂取できてないうえに、燃やす筋肉や脂肪もないから低体温。
白血球も低くて免疫力も下がっていたために、ウィルス感染したら大変だと精神科でも言われていました。
 
気を付けてはいたんですが、予防しても防ぎきれないものなんですよね。
 
死ぬんじゃねーか、パート2!
夜中、突然頭痛に襲われました。痛くて、痛くて、かち割れるほど痛くて、大泣きしました。
まだ熱は出てなかったけど、起き上がれなくて、痛みと闘いながら悶えてました。
でも、無理だ…って思って、生きてるのが辛いって思って、どんどん増えていく薬の量も怖くて
学校に復帰できる自信もなくて、こんなに医療費かけても治らないし、期待に応えられないなら生きてる意味ないと思って
死にたいって思ったんです。
私が死んだところで、世の中のなにかが変わることもないし。
いじめが原因で、こんな状態になって、一人の女子高生が死んだってなったら、私のこといじめてた人たちの人生ダメになるんじゃないかな。
その方がいい気味だわ。って
 
鬱状態の荒れた感情での「死にたい」じゃなくて
生きているのが辛くて思った「死にたい」です。
 
実はこの時、祖母ががん治療で病院にかかってました。
母は娘と母親が生死さまよってる状態によく耐えたな、そして申し訳ないな…って改めて思います。
 
母に言ったんですよ、「もう死にたい」って。
 
その時初めて母が声を出して泣いたんです。
 
こんな状態でも、親より先に死ぬほど親不孝なことはないし、痛い思いして産んだ子を生かすのは義務だから
バカなこと言わないで!って。
もちろん、産み育ててくれた親に尽くすのも子供の役目だから、今おばあちゃんの病気のお世話だってしてるし
冗談でも「死にたい」なんて言わないで!
 
って。
 
その後ですかね、案の定頭痛は風邪の引きはじめだったみたいで…熱出て動けなくなったんです。
 
死にたいとかじゃなくて、本当に死ぬんじゃないかって思いました。
 
立てないから、母がおんぶしてくれて近所の内科に連れて行かれて…
「軽くて消えるんじゃないかって」
母は絶対忘れない感覚だったって言ってました。
 
昼休みの時間帯だったけど、妹の同級生のご家族の病院だったこともあり、融通きかせてくださって
すぐに点滴が打たれました。
血管も細くて、つぶれてたし、普通の大人の量とスピードで点滴も打てなくて
ゆっくり何時間もかけて点滴してもらいました。
 
そのときですかね、初めてすべて心から本音で話せたのは。
もう、隠し事はなしにしよう、って。
いじめられてたのを隠していたけど、担任から連絡きていて知っていたことも
例え大学に行かなくても、生きていてくれるだけでいいっていわれて
良い子にならなくていいから、無理しないでありのままで生きていてほしいって言ってくれました。
自分も長女な母は私に「お姉ちゃんだから」とは言わないように注意していたけど
私の責任感の強さが自分で「お姉ちゃんだからしっかりしないと」って言うようになっていて
それももういいから、生きようって。
 
休学期間も残すところあと少し、その前に一つの殻が破れました。
 
「せめて高校は卒業しよう」私の目標が決まりました。
そして出てきた選択肢が2つありました。
・全く自分のことを知らない学校に入学して1からやり直す
・1月から現在の学校に戻る
 
正直、環境が変われば、友達ができれば元気になる気がして転入するか、学年落として入学するか等考えました。
勉強面では高校1年の内容は中3で学習済だから高2から転入しても、1年からやり直しても問題ないと思っていました。
しかし、学年を落とすとなると、周りは平成生まれになります。書類とかプロフィールに昭和なんて書きたくない!
変なプライドが邪魔をしたのと、私の通っていた学校の修学旅行がカナダで、それが魅力的て、他の学校の修学旅行地を調べても
それを上回る場所を見つけられず、結局1月から元の学校復帰を目指しました。
 
休学期間に実施したことといえば、スピチュアル系の本を読んだり
絵をかいたり、公園にいったり…
お昼だけ外食することが多かったです。
お腹すくことなんてなかったし、何をどれだけ食べればいいのかもわからないなら
お店で出される1人前を1食だって目で覚えることも大事だということで。
ちゃんと食べれることは少なかったけど、いろんなお店を調べるのは楽しみで、比較して調べることは好きなんだなって気づきました。
 
終業式前あたりに、一度学校へ行きました。
学校に復帰するといっても、突然の復帰は難しいし、通学で体力使うことも懸念され高2いっぱいは車通学すること。
また担任が単位の計算とシミュレーションをしてくれていて
授業数の少ない音楽や家庭科の日が学校に来なさい、きつかったりしんどくて授業に出れなくても
学校に来ていれば出席扱いするから…等の温厚な配慮をしてくれると、またまずは午前中のみの登校からスタートすることが決まりました。
 
当時、校舎の増設工事をしていて、プレハブの校舎があり、体育の授業の卓球とかプレハブ校舎でやっていたんですよね。
学校へ行った日のそのタイミングで、ちょうどうちのクラスが体育をしていて
気づいてしまった私は過呼吸になったんです。
その時担任も一緒にいて、私たちに気づいたクラスメイトの子が
「○○ちゃん!!!!」って手を振ってくれたんですよ。
いじめられてたし、今病気でガリガリで覇気ないし、軽蔑されると思ったんです。だから心底嬉しかった。
それがまさか手を振ってくれて…それは母も見ていて、安心したみたいです。
 
私の心の器が小さくなっていたのは「居場所」がないと思っていたからなんですよね。
 
年末年始は家族で過ごすことが恒例となっていて
いつも薬の影響で21時過ぎには眠くなっていたのに、大晦日は起きていられました。
お正月のあいさつも、父から「学校復帰頑張りなさい」とは言われず「無理しないように」と言われました。
 
新学期になり始業式の日、担任とまた話しました。
年明けテストあるけどどうする?もちろん範囲なんて知らないし、数か月勉強なんてしていないから、
今までとっていた自分の成績なんてとれるわけない。
でも、実際この状態で受けたら何番くらいなんだろう、下にいる人いるのかな…という興味半分で受けることにしました。
もちろん担任、両親、病院の先生からは驚かれ、なんなら担任は受けなくていいといっていたのに。
数学なんて公式知らないから計算くらいしかできなくて
もちろん化学と生物なんて習ってないところで
英語は得意だったからちょっとできて
国語は苦手だったけど、日本人だから読めば何とかなって…
成績出る前に、「できなくて当たり前なんだから最下位でもショックうけなくていいから」と何度も念を押されました。
 
実際…思ってたほど悪くなかったんですよね。笑
もちろん成績表に名前がのらないのは初めてだったけど
まだ下にこれだけいるんだ…って逆に自信がついたんです。
 
この年にちょうどドラゴン桜のドラマが放送されていたのを見ていたため
私も頑張れば東大行けるんじゃない?とか思ってマンガを買い、勉強法を実践しようとしました。
 
年明けから3か月間、朝7時半には家をでて、私を送り、一回家に帰って家事等をして、4限目終わりにまた学校へきて家まで帰る。
ガソリン代と高速代、いつか請求してほしいくらい計算したら半端ない額ですよね。
それでも「高校は卒業しよう」という目標に向かって家族は応援してくれました。
 
薬の量はそれから増えることはありませんでした。それでもかなりの量を飲んでいて
錠剤の一気飲みが得意になったのはこのおかげだと思います。
 
体力がないと本当になにをするにもすぐ疲れるんです。
学校へ行くことへの気疲れ、移動教室、授業にでること…普通のことなのに普通じゃなくて
息は上がるし、薬の副作用もあって気づいたら寝てることも多々ありました。
 
高校2年になると、ようやく電車通学の許可がでました。午後まで学校にいることにもなりました。
やってしまえばそうでもないけど、緊張するんですよ。
同じ駅から電車で通ってた同級生になんて挨拶をすればいいのか、そして大嫌いだった昼休みを過ごすわけで
また一人で過ごすんじゃないかと、不安しかありませんでした。
朝から学校へ行き、7時間授業を受けて、電車で帰宅する。
学生なら当たり前なのに、長らくやってないと、どうすればいいかわからないんですよね。
 
同じ駅から通ってる子はすごく嬉しそうに迎え入れてくれて、バス乗り場でもクラスメイトが声かけてくれて
私にとって「居場所を見つける」ことがどれだけ重要だったかが改めてわかりました。
昼休みも、バスが一緒の子たちが声かけてくれて、怖かった学校生活が一気に明るくなりました。
 
また、4月末には学校の1大イベントの体育大会があり4月になると練習がはじまります。
もちろん、どの程度練習に出れるかは病院の先生の判断が必要とのことでした。
放課後に延長練習があるけど、それには出たらだめ。帽子は絶対かぶり、長そでを着用すること。走る競技にはでないこと。
学校の配慮もあり、また隠れ放送委員だったこともあり、休憩中はテント下に入れてもらったり
応援合戦の位置を後ろにしてもらったり、なんとか当日を迎えることができました。
 
自分の居場所が見つかってから、少しずつ食べれるようになってきたんですよね。
まだまだ一人前なんて無理だったけど、体重が減ることはなくなりました。
それでもまだ30kg台だったし、当然のごとく生理なんてこないし。
授業中も起きてられないし、帰宅してもすぐ寝ちゃうから勉強なんてできないし。
 
学校でも、カウンセリングの先生が出張にきて、相談所を開くようになりました。
あ~私がきっかけになったんだろうなーと思いながら、その先生の担当生徒第一号になりました。
 
高校2年は本当に学校に行くことになれることで精いっぱいだった気がします。
徐々に保健室に行く時間も減って、三者面談でも大学受験の話なんてほとんどせず、体調等についてしか会話しませんでした。
 
人間って欲深い生き物で、なにかが手に入ると、その上を欲しがってしまうんですよね。
学校に行けるようになって、卒業もできるだろうとなると、大学に行きたくなるんですよ。
大学生になって、周りが知らない人たちばかりだと
また1から人間関係つくれるんじゃないか…って期待があったんですよね。
でも、今まで医学部を夢見てたけど、今の成績じゃ無理な話だし
やりたいことってなんだろう?
 
高2の夏、嬉しい話がでてきました。
今年もディズニーへ行こう。ただし、ちゃんとご飯を食べること。
本当にうれしかったですよね、ちょっとずつ食べれるようになってきてて
大好きなディズニーにまた行ける。ご飯はちゃんと1人前食べますという約束を父としました。
もちろんまた朝から晩までインパして、ああ、私東京に住みたい、東京の大学に行って、ディズニーの年パスを買おう!
そう心に決めました(なんという動機不純w)
不思議とご飯食べれたんですよ。そして気持ちの上下もかなりなくなってきました。
食べれる自分が不思議で、「いいんだよね?」「大丈夫なんだよね?」ってよく口に出してました。
本当、自分でも驚くほどに食べれるようになったんですよ。
 
当時、建築士がちょっと流行したんです。
ミーハーなので建築士になろう、建築学科に行こうと思いました。
都内か浦安付近にキャンパスがある大学を調べ、志望校を決めました。
決めたと言っても、自分の仲だけであって、まだとても勉強できるような状況じゃなくて、
でも私がやりたいと言ったからデッサン教室に通わせてくれたり、塾の物理の授業をとらせてくれたりしました。
遅れていた数ⅡBを取り戻すために、家庭教師にも来てもらいました。
朝の登校で疲れて、学校で少し寝て(こら!)、授業受けて、少し寝て(おい!)
帰りの電車で寝て、塾行って帰って寝るような生活をしていました。
自分の中では頑張れば現役で合格できると思っていたんですが、
学校も親も、まだ卒業できるか心配していて、大学行くとしても浪人だろうな…と思っていたようです。
 
修学旅行はカナダでした。
カナダで何やったっけな…
森林限界へ行って、すごく空気が澄んでて、人口密度少なくて、呼吸しやすかった。
 
修学旅行楽しかった?
行けたことが嬉しかった。
1年前の秋なんて、精神状態がどん底で、学校にも行けなくて、一人になるのが怖くて、毎日泣いてたのに
そんな人間が、学校の行事に参加して、海外に行ってるっていう事実が信じられなかった。
 
あっという間に一年が過ぎて高校3年生。
高校から入ってきた子たちとクラスが合同になり、さらにその中で国立と私立、文系と理系のクラスで別れます。
国立理系のクラスを希望しました。
また、体育大会を運営する学年になりました。
体育の授業は内容次第で参加していたけど、さすがに最後の学年だからってきちんと参加することにしました。
各団ごとに、チアがあったんですが私も踊ることになったんですよね。
かわいい衣装を着て、華やかさを演出するチアにあこがれはあったけど
なんせ体が思うように動かせなかったから、不安も多かったです。
 
ここで足を引っ張ったら、また嫌われるんじゃないか…っていう不安も残ってました。
「あいつのせいで失敗した」って言われるのが一番嫌でした。
 
でも、そんなことはなくなんとか成功で終わることができました。
 
体育大会が春にあるのは、一大イベントを終えて受験モードに突入するためです。
この時の成績もまだ上位50位なんてとても入れませんでした。
私は授業すら寝て、起きれている時間にちょっと問題解くくらいだけど
みんな予習復習演習問題にセンター対策を始めていて、勉強量が違いすぎるから、いくら地頭良くても追いつけるわけがない。
 
そんな時、副担任に呼び出されました。
「勉強しなくていいよ」
驚きますよね。私立の進学校の高校3年生の、しかも国立の理系クラスの生徒に勉強しなくていいっていうんですもん。
周りが受験モードだから、勉強するなっていうのは難しいことだってわかってる。
でも、せっかく体調がよくなってきて、無理してまた戻ってしまったらもったいないよ。
あと1年休んでも誰も怒らないから。長い人生80年の中の1年なんて大したことないから、あと1年で万全に整えよう、って。
 
学校側としては、もちろん現役での大学合格を推奨するはずなのに
私は大丈夫なんだけど、やっぱダメなのかな。大学行きたいな。
 
まだまだ精神薬は毎食後に何錠も飲んでるし
不安で泣き出すこともある。食事だってひどい時に比べれば食べれるようになったけど、「普通」はまだわからない。
この時、自分の失ったものの多さに気づきました。
何事もなく、順調にいってれば医学部だって夢じゃなかったのに…
なんで私はいじめられたんだろう?
なんで私は病気になったんだろう?
この学校じゃないところに行けばよかったのかな…
 
現役合格がどうしてもって言うなら、地元の私立ならいけるかもしれない。
センタープレや模試は受けていたので、志望校を書くときに、ランクがそれほど高くない学校を書いてみては
判定結果を見て一喜一憂していました。
 
せっかく鬱状態がなく安定してきたのに、できない自分を責めて、また精神的に病んだら戻ってしまうかもしれない。
自分でもわかってたんですが、やっぱり負けず嫌いで、悔しいし、悲しいんですよね。
体力ないなりに、起きていられるときは勉強したり、きつい時は英語のCD流して聞いたり…
でも、勉強時間の差って埋められないんです。
 
落ち込むくらいなら模試なんて受けなくていいから。
とりあえず、単位とるために学校行って卒業できれば来年でも再来年でも受験なんてできるから。
 
客観的に見ている大人たちの方が私のことわかっていました。
順番が大事。勉強も治療も一緒には難しいよ、体が資本なんだから、先に体調だよって。
 
夏休みに、三者面談がありました。
私は志望校に某有名私大と地元の国立大学を書いて提出しました。
でも、担任も親も、今年の受験は無理だろうと思っていて
この学校にいたら周り見て焦るのはわかるけど、自分を大切にしなさいという話で終わりました。
 
国立受験組はセンター試験の申し込みが始まり
私立受験組は指定校推薦の一覧を眺め始める9月上旬
センター試験、受けるから…」
頑固な私はあくまでも今年の受験にこだわりました。
ドラゴン桜の影響もありましたが、ミラクルは起きると思っていたし
自分で決めたら聞かない性格を母は知っていました。
 
センターの申し込みをした後、担任から呼び出され職員室へ行くと、教頭先生がいました。
「お前さ、指定校推薦は考えていないのか?」
思いもよらない話でした。
正直、指定校推薦は「逃げ」だと思っていて、早くに決まるなんていいな…楽だし、とは思っていたけど
そもそも出席日数がぎりぎりの段階で推薦はもらえないの知っていたので、指定校推薦一覧表に目を通すことなんてしてませんでした。
「先生の出身の大学がここなんだけど、理系の学部はすごく自然がいっぱいの中にあって、心の癒しになるぞ」
調べたこともない学校だったし、どこにあるかも知らなかったけど、担任から推薦できる可能性があると母にも連絡が行き
オープンキャンパスでも何でもない日に学校見学へ行きました。
 
その場所に行ったら、その気になってしまうのが単純な私。
ここで大学生活を送って~なんていう妄想が始まりました。
それと同時に、勉強できない辛さから解放されるかもしれない…という思いがよぎりました。
 
しかし、推薦は私立のクラスが優先、私立クラスの中で希望をだし推薦基準を満たす人で選抜が行われ
それでも余ったところに国立クラスの人どうですか~?と案内が来るのだった。
だから、余らなければ推薦は来ないし出席日数の壁の不安もまだあった。
 
とある朝、校内放送が入った。
学校のカウンセリングにいらしていた先生が亡くなったという放送だった。
おじいちゃん先生で、私もお世話になっていたし、その放送を聞いた瞬間頭が真っ白になった。
「死にたい」
自分で何回も叫んだこの言葉の重みが初めてわかった。
先生とは、保健室で毎週1回会うだけだったけど、こんなに悲しいんだね。
私が死んだら、近くの人は本当に悲しくなるね。
放送聞いたあと、保健室に駆け込んで、しばらく泣いていました。
 
推薦はどうしようか…
父親にも相談しましたが、自分で決めなさいとのこと。
決めたことを応援するから…と。
しかし、母はもしその大学に行くなら一人暮らしをすることになるから、この状態で1人にさせるのは心配だし
なんかあったらどうするの、浪人していいしお金の心配もしなくていいから、早まらないで、と。
 
自分でもどうすればいいのかわかりませんでした。母のいうことはもちろんわかるし、でも決まれば悩み事が一つなくなるな…とも思いました。
病院の先生は悩みが食べれないことじゃなくなってきたのがすごくいいことですね、自分の人生と向き合う悩みができる。とおっしゃってました。
 
答えを出すのは自分。
 
その後、異例の面談が行われました。5者面談です。
教頭、担任、副担任、母、私。
もちろん、体を第一に考えなさい…から始まりましたが
今の悩みはなにか?となり
「勉強したくてもできなくて、でも大学には行きたくて、新しい人生を始めたいです。浪人してもいいって言われてるから、浪人も有りだと思うんですが
その1年耐えれる自身がないんです。浪人してるときも試験は受けるだろうし、不安な気持ちを背負って1年耐えられるか怖いです」
泣きながら話しましたよね。
高校卒業さえ怪しかった人間が、大学受験で悩んでるんですよ。
 
「この前紹介した私(教頭)の出身大学だけどね、経済学部からも遅れて推薦募集がきたんだ。学長が私の学友だから、出席日数は気にしなくていい」
>経済学部?文系?
「理系の学部に行くと、また研究とかも忙しくなるしその専門職しか選べないけど、文系の学部なら興味のある企業へ就職できるから、学校にいってからやりたいことをみつけてもいいんだよ」
>わたし、理系の学部だけど、大丈夫なんですか?私文の子たちで余らないかもしれないし、推薦基準たりてます?
すると担任が、内申点は足りていて、かつ英数国の評価で評定も満点だから基準は問題ないと教えてくれました。
しかも、文系に希望者がいないというのです。
 
大学生になれる。
そう思った瞬間、おそらく答えは決まっていました。
指定校だから、決まれば他校に行くことは不可、それだけがルール。
 
知らない世界でゼロから生活をスタートすること、勉強のプレッシャーから解放されること…
これで心が落ち着くなら「逃げ」の選択肢を選んでもいいんじゃないかな…と思いました。「安心」がほしくて、なんでもいいから確かなものがほしかったのです。
それと同時に、仮にその決断をした場合、薬はどうすればいいのか?という心配もありました。
当初は飲みたくなかった精神薬、量を減らしても安定はしてきたものの
わざと飲まなかったり(絶対よくない、大丈夫だと思ってもだめ)すると、やっぱり不安の波が襲ってきました。
卒業までに薬飲まないようにできるのかな…
それと、生理が止まった状態だったから、このままじゃいけないだろうという不安もありました。
楽だし!なんて思うこともありましたが、女としての価値がない状態なんですもの。
 
1つずつなにかをクリアして、新たな問題が出てきて、またクリアして…の繰り返し。
 
とうとう指定校推薦の学内締め切りの日が来ました。
私が求められたものは「選択する勇気」
何かを選んだら、何かを捨てないといけない。同時に進行して結果が良かった方に進むなんてできない。
 
私は逃げだと思っていた指定校推薦を受ける選択をしました。
「選んだ道を正解にするしかない」
 
2年前の秋には考えられなかったことです。
生きていられないかもしれない状況だった人間が、その後高校卒業を目標にしていたのに、大学に進めることになるなんて。
選んだ理由は、浪人生活に耐えうる自信がなかったこと。
安心がほしかったこと。
あたらしい環境がほしかったこと。
 
 
それからというもの婦人科に通い、ホルモン検査をしてもらい、止まっていた生理が戻るようにする治療が始まりました。
なによりも低体重なのが原因だったから、薬云々の問題ではなかったのです。
身長からして43kg超えないと戻らない、安定するには45kgが目安でしょうと言われましたが、体に生理を思い出させるようホルモン剤を飲むようになりました。
 
体重を増やすことはわかったが、食べた分がそのまま増えるのがまた怖かったんですよね。途中も書きましたが。
何をやっても恐怖と不安があるのはやはり精神疾患の特徴だと思います。
もちろん、干からびたスポンジに水を吸わせたらある程度は水を吸収するけど、一定を超えたらすえなくなってくるのにね。
私は干からびたスポンジ状態(栄養失調)だったから、少し食べて増えるのは当然なのに、
このままぶくぶく増え続けるのではないかという恐怖からはなかなか抜け出せなかった。
 
指定校推薦は落ちることはないだろうが、病気だったこと、出席日数がぎりぎりだったことは自分でも最後まで懸念していました。
教頭から大学側に連絡をしてくれていたようですが100%の自信はありませんでした。
しかし、面接の最後に「楽しく充実した大学生活を送りましょうね」と言われたときは、大学にいけるんじゃないかという期待がわいてきました。
 
普通の受験生は、クリスマスも年末年始も勉強に追われているでしょう。
12月の半ばに合格通知をもらってから、私は本当に晴れやかな気持でした。
期待と希望に満ち溢れている人間の例になれるくらいだったと思います。
もちろん、精神状態も落ち着いていて、大学生になる意欲に満ち溢れていたので、
起きていられる時間に勉強するのが楽しかったです。
 
あれだけ泣き叫んで、笑うことすら忘れていた人間が笑えるようになって
「おめでとう」という言葉を全身で感じることができました。
 
年末ですかね、実家に帰った際にお店のコース料理を何一つ残すことなく食べれたんです。
いきなりカロリーとったからすごく汗かいて、食べるのに疲れて、お店のソファで少し横になった記憶があります。
食べれたことに驚きで、「いんだよね?大丈夫だよね?間違ってないよね?」と何回も聞きました。
 
病院へ行っても、心の器が本当に大きくなったね、いい方向へ向かっているね。と言われました。
食べなきゃいけないという呪いの様なものから抜け出せたのが大きかったみたいです。
もちろん、食べなきゃ死んじゃう状況だったけど、食べれないこと自体を責めるのではなく
食べれなくなっていることを意識しないことが私にはよかったみたいです。
 
それから、社会問題になった未履修問題と闘うことになり卒業は遅れましたが無事に高校を卒業して大学に入学できることになりました。
 
・1人暮らしをしても、毎日なにかしら家族と連絡をとること
・紹介状を書くから、しばらくは自分で病院に通うこと
・限界がきたら実家に戻ること
 
この3つが約束でした。
自分にあった病院が見つからないかもしれないからしばらくの期間大丈夫なように多めの薬を処方してもらいました。
婦人科の薬も同様です。
 
食べないということはなくなりました。大学は楽しいし、高校時代も一緒に料理は作るようにしてたので
しばらく作ったものを写真で送ってました。一人でも大丈夫だよ…って。
でも、新しい病院は見つけられませんでした。今まで通っていた病院の先生以上の人に会える自信はなくて、精神科に通っていることを大学の人に知られるのも嫌だったし
結局病院には行きませんでした。
紹介状は今でも手元にとってあります。
 
当然薬には限界があり、なくなって飲まなくなって、そのまま放置していました。
(絶対個人的に判断はよろしくない!!!!!!)
完全なる自然治癒ですかね。私はいじめが根本的な原因で自分の居場所がないことにここをを狭めてしまって
大学生活において、自分の居場所を見つけられたから良かったんだと思います。
もちろん全員と仲良くするのは無理だし、また嫌われるのも怖くて、壁を作ってしまうこともありました。
でも、楽しく過ごせる友人がいること、遊べることがすごくうれしかった。
 
あれ、人と話すのが怖くない。
心から笑えてる。
普通にご飯が食べれる。
 
もちろん当たり前のことなのに、今まで意識してしまっていて普通が普通じゃなくなっていたので
後から自分が何気なくできていることがおかしくて、その繰り返しで、「普通の生活」を取り戻したんだと思います。
 
大学入学してすぐの健康診断は、もちろん低体重で学校の保健室から赤紙が送られてきましたが。笑
 
病院の先生は母に「もしかしたら大学を辞めることがあるかもしれない、でも責めないで受け入れてあげてください」と言っていたみたいです。
正直な話、1回だけ強制帰省となり大学やめるか編入するかの話をしたことがあります。
でも、やっぱり元の大学に戻りたくて…
負けない気持ちで乗り切りました。
生理に関しても、43kgくらいでやっと戻ってきて、45kg超えるまでに3年くらいかかったけど本当に不安定だった周期もなくなりました。
 
気づいたら…
普通に人間として、大学生として、学校行って、バイト行って、友達と遊んだり恋愛したり…
楽しい学生生活を送ることができていましたね。
 
最初にも書きましたが、精神病って治ったの線引きが本当に難しいんです。
薬を飲まなくなったらそれで完治というわけではないし、いつ戻ってしまうかもわからない。
調子いい日が続いても、ふとした瞬間に泣きたくなる時もあるし。
 
気持ちの上下っていうのも、言葉で書くと一言だけど
あ~何もやる気おきないな、辛い…ていう単純なものじゃなくて、わけのわからない不安が襲ってきてどうしようどうしようって
過呼吸やパニックになったり、表現が難しいんです。
 
社会人になるときも、一回壁にぶち当たりました。
就職内定率が過去最低を記録した、リーマンショック後の就職世代なんですが、
本当に内定がでなかったんです。
「自分の居場所」というか、自己否定されている気がして、本当に辛かったです。
 
その時助けてくれたのは家族でした。
就職浪人したら、地元に戻ってきてバイトでもしながら何か資格の勉強でもしたら?
料理極めたら?パパが働いている限り喰いっぱぐれはしないから、辛かったら帰ってきていいんだよ。
いくつもの選択肢を提示してくれたんですよね。
「ママは高校卒業できないと思ってたから、4大卒業してくれたら、それ以上求めることないわ」
その言葉が胸にささりました。
結局一度地元に戻ったんですが、結局今は東京でOLしています。
東京に出ると決めた時も、「辛かったらいつでも戻ってきていいからね」と言ってくれました。
 
もっと高い給料欲しいな~とか、生活に余裕ほしいな~とか思ったりもするけど
今生きていることが奇跡だよなって思っています。
心身ともに病んで高校卒業すら危うかった人間が、自分で稼いだお金で生活してるんだよ~~
 

\(^o^)/今はジャニヲタしてて楽しいよ~~ちゃんと会社員として働いてるよ~~~\(^o^)/
 
\(^o^)/今は中肉中背のアラサーだよ\(^o^)/
 
ネタのように途中に挟みましたがw
 
社会人になってからは?
 
いまだに休学していた頃…秋口になるとふとした瞬間にいろんなことを思い出してしまったりもします。
本当にきつかったんだもん。
人間関係を築くのも正直得意ではありません。やはり壁を作ってしまったり、心底信用できなかったり。
もちろん自分が信用して歩み寄らないといけないとはわかってるんですけど、実際行動に移すのって難しいんですよね。
中高の同級生に会うのは苦手です。
もちろん無理に会うことはしないし、SNSとかで申請がくると断らないしけど
会社の隣のビルで同級生が働いていて、出勤中に会ったり
友達の彼氏がお茶してるっていうところについて行ったらそこに同級生がいたり…
あるんですよね、世間狭いな(笑)
もう10年も経っているし、気にしているのは私だけだとは思うんですが
病気してた子っていう印象しかないだろうし、あの時のガリガリ気持ち悪さはないけど
でも引け目を感じてしまうんですよね。
「もう大丈夫だよ、元気だよ、あの時は病気だったからな~」って笑いながら言えたらいいんですがね。
 
あと、担当してくれた病院の先生、お世話になった学校の先生方にお礼が言えてないのがちょっと悲しいですね。
直接は言えてないけど、本当に感謝しています。
 

摂食障害…私は拒食症でしたが、食べたくない→食れないとなり、ひどい時はチョコレート1欠けで一日過ごしました。
そのうち、何をどれくらい食べたらいいのかが分からなくなって、食べて太るのも嫌になって、食べることが怖くなりました。
今はおいしいご飯とおいしいお酒が楽しみなくらいなので、嘘みたいです。
 
精神疾患…あれは本当に私だったのか、不思議に思います。当時小学生、中学生だった妹は人格が変わっていたお姉ちゃんに不信感を抱いたでしょうね。
自分でなにもコントロールできないんです。感情がわからないんです。
 
この怒涛の中高時代を乗り越えて、一つ思えるのは、人生どん底を味わったら、上るしかないんだな、ってことです。
だって死ぬことより怖いことって今ないもんね。
明日仕事がリストラされますって言われても、アルバイトでもして次の仕事見つけることだってできるし
甘えて実家に帰ることだってできる。
例え恋人に振られたって(いないけど)、そりゃ傷つくけど、合わなかっただけでかけがえのない家族と縁が切れるわけじゃなければいっか。って思えます。
 
今でもね、不安になることいっぱいあるんですよ。
あのとき病気にならなかったら、もっと稼げる仕事してたんじゃないかな、って思うこともあります。
でもきっと辛い過去がなかったら、卒業した大学に行っていないわけで、東京にいないかもしれないし、
本当に信頼できる友達に出会えなかったかもしれない。
両親にも本音を言えないままの子だったかもしれない。
ずーっといい子でいて、医者になって、それも幸せだったかもしれないけど
本音がだせないプライド高い負けず嫌いの高飛車になってたかもしれない。空想だけどね。
 
だから選んだ道は正解!笑

この文章に出会った人で、いじめられている人は絶対家族だけは味方だから、なかなか言い出せなくても勇気を持って吐き出してみませんか?
1人でも味方がいると、全然気持ちが楽になるよ。
 
この文章に出会った人で、精神病と闘っている人…よく「ありのままの自分でいいんだよ」ってよくいわれるけど、本当にそのとおりで
まずは自分を好きになってみてください。どうせ私なんて…って思わなくて大丈夫。自分が自分の味方にならないと誰も味方になってくれないよ。
まあ、私もえらいこと言えるほどではなくて、頭ではわかっていてもこころがついていかないこと多いですけどね。

死んだらなんにもできないんだもん。まずは生きている現状に感謝することから始めてもいいかもしれないですね。
 
いままでの経験を本にしてもいいな…って考えたこともあるんです。
文章読んでいただいてわかるとおり、文章力ないから、しゃべり言葉になっちゃうし
事細かに覚えているわけでもないんですよね。曖昧な部分も多くて…記憶がない部分もあります。
思い出したらすぐ泣いちゃうしね。
でも、自分の中でももう一度過去と向き合いたくて自分に自信をつけたかったからこの文章を殴り書きで記しました。
こんなこと乗り越えて今の私がいるんやー
すごいやろーーー
へらへらジャニヲタしてるように見えるけどちゃうねんでーーー
「辛かった過去」で終わらせないで「これだけの過去を乗り越えてきた」
ふふふ、言い聞かせみたいですが言い聞かせてます。
絶対自分の「居場所」はどこかにあるはず。飾らないで、心から笑いあえる友達を大事にしてこれからも無理しないで生きていきたいと思います。
 
いい子でいること、プライドとかすべて捨てることを受け入れるのが一番の勇気だったかな、、、、
 
よし!明日からもがんばろ~っと☆